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【難問】英文解釈問題をどうぞ【Thomas Carlyle『衣装哲学』冒頭】

2001年の東大入試英語、大問1の要約問題でトマス・カーライルの『衣装哲学』の一節が引用されます。

"no meanest object is insignificant; all objects are as windows, through which the phylosophic eyes looks into Infinitude itself."

 「どんなつまらないものでも、無意味なものはない。物はすべて、窓の役割を果たすのであり、その向こうには、哲学する目からは無限そのものがのぞけるのである。*1」。

と訳せます。

もしこの問題をきっかけに『衣装哲学』に興味を持って、原文で読もうと試みたら、一番最初に出会う冒頭の一文で篩(ふるい)にかけられるはず。

実際に本文の冒頭を見てみよう

ということで、ある程度英文解釈に自信がある受験生(高校生や浪人生)は、私と一緒に是非とも英文解釈の問題としてチャレンジしてみてほしい。

では肝心の冒頭一文を見てみよう!

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Sartor Resartus: The Life and Opinions of Herr Teufelsdröckh By Thomas Carlyle.1831より BOOK I. CHAPTER I.  PRELIMINARY.冒頭から。

ここで初めてピリオド登場!

つまり冒頭の一文が恐ろしく長いのです。

あ~あ、骨が折れそうだわ。

全文はこちらから閲覧することができます*2。 

 概観の把握を試みよう

実力でやってみたい人は、ここは読み飛ばしてください。

まず結論として、どのような構造かを示してみたいと思います。

英文と和訳文の各色は当該箇所と対応しています。

 

Considering our present advanced state of culture, and how the Torch of Science has now been brandished and borne about, with more or less effect, for five thousand years and upwards; how, in these times especially, not only the Torch still burns, and perhaps more fiercely than ever, but innumerable Rushlights, and Sulphur-matches, kindled thereat, are also glancing in every direction, so that not the smallest cranny or dog-hole in Nature or Art can remain unilluminated,it might strike the reflective mind with some surprise that hitherto little or nothing of a fundamental character, whether in the way of Philosophy or History, has been written on the subject of Clothes.

「Torch of Science」「Rushlights」「Sulphur-matches」など、

火に関するものが大文字なので、比喩として用いているのかな~など、書き手の意図を慮らずにはいられません笑。

手順①

ず~~~~っと読んでいくと、

「Considering~ +V~」ではなく、「Considering~, SV~」となっています。

特に倒置してそうな不自然な箇所もありません。

なので、このConsidering~は動名詞ではなく分詞構文であることが分かります。

手順②

準動詞(分詞構文)のconsideringの目的語は、の三色です。

は「how+SV~」の間接疑問文として名詞節を形成し、Consideringの目的語に。

特にでは「not only A but (also) B」の構造のせいで長くなっています。

,so that」はセオリー通り「目的」ではなく「結果」で訳すとしっくりきます。

手順③

ー(ダッシュ)の直後のitは形式主語で、that節が真主語です。

ここからやっと主節がはじまります。

薄紫薄ピンクは、that節中の修飾句です。

対照するための補助としての和訳

我が国の文化の現在進んでいる有様を、そして学問の炬火がもう二千五百年(原文ママ)以上もの間振りかざされ担ぎまわされて或る程度の効果を挙げていることを、特に近頃はその炬火が、相変わらず、いな恐らく愈々勢猛に、燃えさかっているばかりでなく、それから火を分けて貰った数限りもない燈心草蝋燭や擦附木も亦四方八方に閃めいていて、自然界芸術界のどんなにちいさい隙間も小穴も光の及ばぬ所はないことを、考える時には衣服の題目に関して哲学の方面でも歴史の方面でも基本的の書物が今以て殆ど書かれていないことは、心ある人に多少奇異の念を感じさせるのが当然であろう*3

●rushlight(燈心草蝋燭):candle(蝋燭)の一種。rushは「急ぐ」「多忙」などのほかに「藺草(イグサ)」といった意味があります。蝋燭の芯として藺草の髄を用いた細めの蝋燭のことですね。

sulphur match(擦附木):普通に「黄燐マッチ」で訳しても無問題。matchをマッチとそのまま訳さずにわざわざ「擦附木」とするあたりに、時代の違いを感じるわ~。

●何で5000年ではなくて2500年なんだろう?

 ちょっとずつ見ていこう

以下のような記号を用いています。

  •   [ 名詞句/名詞節 ]
  • 形容詞句/関係詞節
  •  ( 副詞句/副詞節 )

日本語は、mikanketsuが少し砕いて補足しました。

超絶な要約をしてしまうと、

「時代と学問の影響力を考えたときに、哲学や歴史の分野なんかで『衣服』というテーマで書かれた書物がまったく無いことってビックリだよね!」

という始まり方ですね。

Consideringの目的語1つ目

Considering [our present advanced state of culture],

 

『[文化の現在進んでいる状態]を考えると、

Consideringの目的語2つめ:間接疑問文「how+S+V」1つ目

Considering [how the Torch of Science  has (now) been  brandished and borne about, (with more or less effect), (for five thousand years and upwards)];

 

[学問の炬火(きょか=たいまつ)」(もう5000年以上もの間)どのように振りかざされ担ぎまわされて(多かれ少なかれ効果を挙げて)いるか]を考えると、

Consideringの目的語3つめ:間接疑問文「how+S+V」2つ目

Considering [how, (in these times) (especially), not only the Torch  (still) burns, (and perhaps more fiercely than ever), but innumerable Rushlights, and Sulphur-matches, kindled (thereat), are (also) glancing (in every direction), (so that not the smallest cranny or dog-hole <in Nature or Art>  can remain  unilluminated)],

 

[(特に)(近頃は)その「炬火」が(相変わらず)、(そしてひょっとすると今までより激しく)どんなに燃えさかっているかばかりでなく<(そこで)火を焚きつけられた><数えきれない>「ロウソク」や「マッチ」も(また)(四方八方に)どんなに閃めいていて(その結果<自然界芸術界の>どんなに小さい隙間も小穴も  光の照らされない  ままではない)]を考えると、

thereatは「there at」であり、一瞬threatと空目してしまいます。

辞書ひいたら古くて固い単語なようで、高校生が知っているとは思えないよ。

勉強になるなぁ~(白目)

主節:形式主語構文(仮主語構文)

[it] might strike  the reflective mind (with some surprise) [that (hitherto) little or nothing of a fundamental character, (whether in the way of Philosophy or History), has been written (on the subject of Clothes)].

 

[(衣服のテーマに関して)、(哲学の方面でも歴史の方面でも)基本的な書物が(これまで)殆ど書かれていないこと]、(驚きを伴って)思慮深い心を 打つのも当然であろう。』

 

倒置などは起こってないし、障壁は単語がちょっと厄介なのと長くて面倒くさいくらいかな?

【超難問】ではないにしても、やはり正確な把握は難しいので【難問】です。

私も間違っている箇所があるかもしれないので、「これちがくね?」というのがあれば教えてください!

 

アニメ:安藤愛莉『2014年8月31日日曜日午前6時45分』感想と視聴のススメ

仕事で辛いことがあったら、ノスタルジーに浸れるような画像やシネマグラフGIFを集めて見ています。

疲弊したカラダが自然と癒しを求めているのかな?自愛しなきゃ...

さて、画像やら何やらを集めていたら、こんな作品に出会いました。

タイトル「2014年8月31日日曜日午前6時45分

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www.youtube.com

あらすじと概要

制作者:安藤愛莉

武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科 2013年年度卒業

世界観・舞台設定は「タブレットに残っている、最後の新聞配達の日の記憶」。

電子化によって新聞配達が終わってしまい、その最後の日がタイトルにある日付、2014年8月31日日曜日です。

以下、制作者のコメントと作品概要。

自分の空想の空間をもとに制作した、約5分間のアニメーション。描いた一枚の絵から、その絵の外の空間、建物の構造へと想像を膨らませました。

朝、タブレット端末で読書する男の家に新聞が投函される。新聞を取ってくるまでの間に、男は奇妙な世界に迷い込む。草花が茂り虫の飛び交う空間。庭園は図書館の廊下へ繋がる。廊下を進んだ先には、カプセルに入れられた植物、古びた自動掃除機やスマートフォン。そのとき、その手にある新聞はぼろぼろのタブレット端末に姿を変える。

実はここは未来であり、男にとっての現在の景色。前半の現実味のある世界は遥か昔、2014年8月31日日曜日午前6時45分前後、過去の遺物であるタブレット端末に残された記憶だ。電子化が進み紙が消えようとしている時。最後の新聞配達の日だった。その時代では宇宙での植物栽培を試みているが、今は宇宙から草木の減った地球へ植物を送る時代。社会は宇宙に築かれている。しかし生活はデジタルからアナログに戻り、人は紙の本を読み、鉛筆で字を書く。

人々は躍起になって植物を育て、地球に還ることを夢見ている。

背景画の魅力がすごい

どうやら安藤さんは在学時からアニメーションの背景画家を志望していたようです*1

明確な目標があると、努力を向ける方向性が定まって、パフォーマンスの効果を最大限にしてくれるので素晴らしいですね。

自分の夢(というより目標)が自分のやりたいことであること、その実現のための努力や切磋琢磨の成果がこの卒業制作作品に反映されていることが読み取れる気がします。

制作過程として一枚の絵から構想を膨らませているので、当然どのシーンで静止させても一枚の「絵」としても魅力的です。

例えばこんな感じ。

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3:30付近

 

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2:57付近

 ふつくしい...

ただ「綺麗に描けている絵だな」という感想に留まらず、この絵の中の世界に行ってみたいと思わせる魅力があります。

どこか懐かしさを感じさせるノスタルジックな雰囲気と、現実離れしたファンタジー性が調和しており、私は大変堪能させていただきました。

アニメーションの世界観

では、この作品の魅力の源泉でもあるノスタルジー(郷愁)とファンタジー(幻想)はどこから生まれているのか?

それに対する答えとして、絵を描くにあたっての安藤さんの空想と世界観設定ではなかろうか

という結論に至った次第ですので、ちょっと詳しく書いてみます。

ノスタルジー(郷愁)の側面

新聞配達が終わり、電子化されるというということは、

アナログ→デジタル

の移り変わりです。

ところが、このアニメーションのアナログ→デジタルの変遷の境界線である2014年8月31日日曜日は、「記憶」でした。

実際の社会は宇宙に築かれていて、宇宙空間での植物栽培を試みています。

さらに、草木の減った地球に植物を送ることまでしてしまっている!

最後のシーンをよ~~く見ると、古くなったタブレットを置いた後、紙の本を本棚から選ぼうとしているのが分かります。

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本棚から本を物色する姿。4:25付近。

デジタル→アナログ

に再び回帰するこの世界観の設定が、アナログを懐かしむ郷愁的な雰囲気を醸成しているのではないでしょうか。

ファンタジー(幻想)の側面

 そもそもノスタルジーとファンタジーの親和性は高いです。

王道で郷愁のみを感じられる例としては、「夏の入道雲」「駄菓子屋と路地裏」がモチーフの絵ですね。

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夏の入道雲。谷田部透湖「木の葉化石の夏」より。

夏の入道雲や駄菓子屋の路地、夏祭りの風景などは、現実で見ようと思えば見られるものです。

ただそれらは、子どもの頃の記憶が想起されて郷愁を感じさせるトリガーとなっているわけですよ!

 

一方で、非現実的、幻想的でも郷愁を感じてしまう絵もあります。

あり得そうであり得ない。

そしてどこか心惹かれてしまう。

ちょっと胸が縮こまって「あぁ...」って気持ちになるような絵です。

 

安藤さんの作品はまさに、自身の空想から構想を広げたことで、「あり得そうであり得ない魅力ある世界観」が体現されています。

全体感想・参考URLなど

YouTubeの再生回数は、2019年4月7日(日)現在で4,388回再生でした。

もっと伸びても良いかなと思います。

ちょっと調べると、この作品は

INTERNATIONAL STUDENTS CREATIVE AWARD 2014に入賞していることがわかりました。

宝石の国の美術・美術監督で安藤愛莉さんのお名前がヒットしましたが、これはもしやご本人!?

 

もし本人であれば、夢の実現が着実に叶っていますね。

【高校英語】「自動詞と他動詞」の授業で生徒にどのようなノートをとらせるか

表題の通り、

「自動詞と他動詞」の授業で生徒にどのようなノートをとらせるか

という文章を塾講師が書いてみたでござる。

ブログに晒して残しておくことで、今後の私の改善点が見つかりそうだし、改善の変遷も辿(たど)れるし。

ノートに残させる注意点3つとその意図

「自動詞・他動詞」に限らず、私が意識しているのは

  1. 視覚的に印象に残るノート
  2. 復習で見返しやすいノート
  3. 必要な情報"のみ"の簡潔なノート

という3点。

それぞれの意図も記しておきます

1:視覚的に印象に残るノート

初回授業で納得感をもって欲しい!...からに尽きます。

文字ばっかりだと小難しさや勉強の息苦しさを感じさせてしまうし。

参考書の文章をなぞるだけなら授業や黒板を使う意味が無くなってしまうので、絵心がない私でも私なりに図や表、イラストを用いるように心がけています。

「比較」の授業なんかは特に、私がお会いしたことのある講師の方々はもれなく絵を用いていました

「わかりにくい」「覚えにくい」と感じさせてしまったら、その生徒は他の塾や予備校に行ってしまうし、何より自分が悔しいもん。

「あ、そういうことなんだ~」って感じてくれる納得感のための視覚的印象。

2:復習で見返しやすいノート

「自動詞・他動詞」で考えてみると、

 

●高校1年生は一番最初の「前期中間試験」の範囲である可能性があります。

「自動詞と他動詞」自体は扱われなくても、「5文型」の一部としてなら定期テストの対策という意味でも有効かな? 中間試験で出なくても期末試験で出そう*1

●また、「自動詞・他動詞」は関係詞の識別の際、完全文か不完全文かの判定で必要になる知識でもあるのだよ~。

●そもそも、自動詞と他動詞の言い換え表現は、ストレートに大学入試で問われる基礎頻出事項だし...

 

 等々今後必ず複数回見返すハメになるので、見返しやすさは重要。

3:必要な情報"のみ"の簡潔なノート

講師なので知識は当然生徒より持っているから、伝えようと思えば伝えたいこと/伝えられることはたくさんあります。

でも、一気に知識を詰め込みすぎると、生徒の頭はパンクしちゃう。

どれが重要でどれがオマケ情報かを識別する術(すべ)がない生徒にそれは酷。

たとえそれがいずれ生徒が必要になる内容でも、今回の授業にその知識は必要かどうかは考えなくてはなりません。

例えば、「時・条件の副詞節の中では、未来の内容でも現在時制」という時制の頻出ルールがあります。

きっと初見の生徒はwhen節・if節の「名詞節 or 副詞節の識別」でもハードなはず。

そこへ「これは単純未来のときだけで意思未来ならwill使えるときありまっせ~」と教えたら絶対混乱しちゃうもん。

授業の一貫性という意味でも、生徒の復習のしやすさという意味でも、簡潔さは保つよう心がけております。 

自動詞・他動詞の位置づけ

あくまで私がもし授業をするとしたらの「自動詞・他動詞」の位置づけ。

①②と③④⑤を分かつのが自動詞・他動詞ではあるけども、「5文型」の授業のうちので「自動詞・他動詞」の識別や言い換え表現の学習が担うのは①第1文型と③第3文型だと考えています。

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よく目にする図ですよね~。どんな文型の文章にもSVがあることを確認できます。その上で「後ろにOが来るor来ない」が自動詞・他動詞の違いだ、ということを教えるのに使いやすいです。

というのも、第2文型はそれだけで独立した授業をする価値があります。

「remain」とか「seem」や「appear」とかですね~。

入試で問われやすいものの数が限られているので(中堅私大なら知っておくべき動詞は20個弱くらいかな?)、覚えるべきだし授業で扱うべきです。

第4文型と第5文型は言わずもがな複雑なことが多いので、大多数の塾や予備校では、めいっぱいの時間を割くことでしょう。

そうすると、第1文型と第3文型はストレートに自動詞と他動詞の識別が必要であることや、第3文型をとる動詞の数の多さを鑑みると、①第1文型SVと③第3文型SVOを一緒に扱うのは妥当かなという認識です。

では導入から...

自動詞と他動詞に興味を持ってもらうための1~2分の話。

色々な講師が、自分で考えたり、師匠や先輩から受け継いでいる十八番があるはず。

 I run in the shop.「私は店の中で走る*2

 I run the shop. 「私は店を経営する。」

 

それぞれの単語は知っているはずなのに「in」の有無で「run」の意味が変わることを伝えています。

同時に、「自動詞・他動詞」がなぜ大切なのかという授業の意図も伝達します。

これは5文型の識別をさせる授業の導入でも使えるので、私はリサイクルしています♪

今思えば誰から教わったんだっけ?

この導入はノートに取らせなくてもよいと思ってます。

が、視認させるために板書する必要はあります。

唐突にコレを生徒に問うたら、知っている子はニヤッと笑うし、知らない子はボードと講師に注目してくれます。

パズルとしてノートに残す方法

表題にある「自動詞と他動詞」の授業で生徒が頭に入れるべき両者の情報は、

自動詞

  • 直接、目的語をとることができない
  • 目的語がなくても文が成立する
  • 後ろに前置詞をつけると、目的語をとることができる

他動詞

  • 直接、目的語をとることができる
  • 目的語がないと文が成立しない
  • 後ろに前置詞をつけることができない

という違いだと設定します。

これをそのまま生徒にノートさせたりプリントとして渡したりして、

「覚えておいてね~」は、よっぽどの生徒でないと通用しません。

この情報をいかに

  1. 視覚的に印象に残るノート
  2. 復習で見返しやすいノート
  3. 必要な情報"のみ"の簡潔なノート

の3つを満たす形にするかを考える/探す作業が必要です。

 

「自動詞 他動詞」

で検索すると、YouTubeの教育系・英語系の映像解説動画や、めぼしいブログがヒットします。

視覚的に参考にできそうな図を考案している人を探すには、画像検索もよさそうです。

それでもピンとこなければ、本業(同業者)の方の授業や著作物を拝見していきます。

 

以下は、安河内哲也先生*3のものを大幅に参考にしたものです。

「自動詞他動詞」の単元では、私はこれが一番分かりやすかったです。

模索している最中、むしろ視覚化している人の少なさに驚きました

きっとそれほど難しいことなんだなぁ~

コレの良いところはパズルという身近なものを用いることで、視覚的に印象に残ることです。

いくつか例題で演習して生徒が法則性に気付いてきたら、以下のような図を要点のまとめとしてノートに残させます。

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自動詞・他動詞の説明で、生徒のノートに残させておくパズルのイメージ図
  • 他動詞はSとOを直接結べるピースである
  • 自動詞はOと直接結べない
  • 自動詞とOを結ぶためには、前置詞というピースの力が必要

ということが視覚的に分かるのです。

そして、私なりに教える側としても副産物がありました。

パズルで自動詞・他動詞のノートを用いる副産物

結論から言うと私が思う副産物は主に2つです。

  • 授業のハードルを下げてくれる
  • 熟語の役割を伝えられる
授業のハードルを下げてくれる

よくありがちな文章を使います。

We discussed the matter.

We talked about the matter.

訳はほとんど同じです。

自動詞を用いた表現と他動詞の言い換え表現のお手本のような例文ですね。

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言い換え表現を伝えるとき、SとOをつなぐために「左が凹・右が凸」の形をつくるんだよ、ということを伝えると、演習する意図に具体性と親密性が生まれるので、イメージしやすくなります。

「自動詞を用いた表現と他動詞の言い換えを覚える」

と考えながら作業のような授業を受けるよりも、

「SとOをつなげるパズルのピースの使い方をマスターする」

と考えたほうが、多少勉強の息苦しさが紛れませんかねぇ...(私だけかな?)

 熟語の役割を伝えられる

高1生の授業で活用できた例です。

He depends on his parents.

という文の文型を振るときに、生徒によって意見が分かれました。

A:He depends (on his parents).

       S                    V

B:He depends on his parents.

       S                    V                                         O

Aの場合:第1文型

きっと授業をしっかりきいてくれていた生徒です。「depend」は自動詞なので何の問題もありません。

Bの場合:第3文型

「depend on」という熟語を知っていました。知っていたが故に"ひとかたまり"と見做し、「depends on」をV、「his parents」をOとしました。私も文章を読む際はどちらかというとこのタイプのような認識で読んでいます。

SとOをつげるという働きにおいて、「自動詞+前置詞」は「他動詞」と同じだった旨のフォローを入れられますし、むしろ熟語を知っていたことを褒めてあげられます

ここでパズルの布石を打っておくことで、授業に一貫性が生まれました。

例外事項・複雑な事項を後出ししてしまうことで生じる、英語が苦手な生徒を混乱させるリスクを回避できます。

一度学習した内容の復習・確認として処理ができたので、違和感なく「あーそうだった、そうだった」と生徒が思い出してくれる流れを作れました。

ちょっと懸念事項

●S+V+[名詞]の形だと、「②第2文型SVC」と「③第3文型SVO」の可能性があるので、

Vの後ろの[名詞]の有無で教えてしまわないようにしています。

「自動詞・他動詞」を扱う前に、文型を振る練習をして「S=C」と「S≠O」の識別方法を授業で扱ってから取り組むと良いですね。

 

●よくありがちな、「~を」を用いる説明は入れておりません。英語の前置詞に日本語の助詞をあてはめる考えは、紛らわしいものが多いと私が感じているからです。

 

「授業」は上手い人の上手い授業から吸収しよう:ノートと板書の大切さ

「上手い人の上手い授業から吸収する*4」というのを私は心がけています。

大手SKY予備校はもちろん、映像・個別・集団など様々な形態の塾・予備校に所属している講師の先生方の教え方を学ぶと、得るものは大きいです。

韓国のTOEIC講師など、非英語圏の外国人講師の英語の授業も面白いっすよ。

ポイントは「上手い人の上手い授業」であること。

全てが完璧な講師/先生は残念ながらいません。

「英作文といったら〇〇先生」「読解は△△先生がわかりやすい」「★★先生の仮定法の授業はスゲーわかりやすい!」「◆◆先生は親身で優しいし板書見やすいよね」

誰しもに突出している得意分野があります。

凄い人のさらに凄い部分、真似したい要素を吸収して自分のものにすれば、

 

  • 講師としての自分の市場価値が上がる
  • 生徒の成績向上や志望校合格に貢献できる
  • 質の高い教育を目指すことで間接的に日本の将来に貢献できる

 

のです。

蛇足ですが、英語学や英米文学を専攻されている大学の教授先生のつぶやきも興味深く吸収し、自分の至らなさと伸び代を認識しながら楽しんでいます。

最近ではYouTubeにも、ものすご~~くわかりやすい動画が転がっているのでバリバリ参考にしています*5

その「授業」の中には、教える内容の整合性(ストーリー性)やカリスマ性、口調やキャラクターの演じ方など様々あるけれども、板書もそのうちの一つ。

板書=生徒が復習するノートです。

 私の場合は、思いつきでテキトーな板書をしないというmyルールがあります。

ナナメの文字や、歪んだ線の板書では、自信を持って商品として授業できません。

じゃあ綺麗に書けば良いのかというと、それだけではないのが難しくも楽しいところ。

教科書や参考書の内容で全員が理解できるなら、読み合わせで良いし、色マーカーを引かせれば済む話です。

その内容をさらに噛み砕き、必要な情報が簡潔に一目でわかるものが理想です。

...はい、私も偉そうなことは言えません。引き続き精進して参ります。

 

同業者、新しく塾講師になることを考えている人、高校生が万が一見ていたら、参考にするなり反面教師にするなりでご活用いただけると幸いです。

*1:ただね~、意識の高い新高1生以外は、まーーーったく中間試験を考えていません。新生活で手一杯な状況で、期待と不安を胸に抱いて青春しているのですよ!!!

*2:冷静に考えると店の中で走るって状況はおかしいね。でもツッコミどころがあると生徒が反応してくれるので良しとしています。

*3:おそらくこのようなパズル見覚えある人もいるのでは?安河内先生の場合はSVの結びつきの強さを表すような形状のピースだったり、第4文型と第5文型は特殊な形状のピースを用いていたりします。

*4:そのまんまコピペしたような内容や、他人の著作物をそのまま用いるのは所謂剽窃的で良くありません。というか完コピするなら、元ネタの人の授業の方がクオリティ高いから負けます。だからこそオリジナリティや自分なりの構成を元に参考とする「自分らしさ」が必要です。

*5:だからこそ塾の講師は日々研鑽しなければいけないし、課題管理や学習環境の整備で差別化を図って付加価値を創造していかねばならないのさ...。

東大合格発表日に出勤した塾講師が感じたこと【E判定でも合格するしA判定でも落ちる】

「直前の模試がE判定でも受かるヤツもいれば、A判定でも落ちるヤツもいる」

要するに、勝負は最後までどう転ぶかわからないのだな、ということを改めて感じただけ。

 お仕事してきたよ。

2019年3月10日は東大の合格発表日だった*1

日曜日だけれども、この日は高校生を指導している教育関係者なら忙しい日。

予備校や学習塾の講師ならびに職員は実績集計などで終日稼働する。

塾・予備校や高校の先生の中には当然、当日直接生徒から合否結果の連絡をもらった人もいるはず。

発表時間は12:00なのだが、時間前にはやはりソワソワしちゃうものだ。

「今年は何人受かるだろうか?」

「自分の母校から今年も東大はでるかな?」

「アイツは果たして合格してるのか?」etc...

 

合否確認を発表と同時にスムーズに行うためには、当然2次試験受験者の一覧を手元に置いておく必要がある。

いや~、一覧表は個人情報満載だから、トイレに置き忘れようものならクビが飛んじゃう!

取り扱い注意!

その一覧表には受験番号や氏名の他に「出身高校」「非卒/既卒」、直前の模試の判定による「見込み」等々が載っていた。

仕事を終えて、合否結果が判明した時点でシュレッダーにかけるのだが、合否を反映させた一覧表から得られる情報がやはり貴重だったので、暫く眺めていた。

感想を忘れないうちにメモっておく。

感じたこと1:既卒が強い

いわゆる浪人生。

1次のセンター足切りを突破している浪人生は、少なくとも東大を受験する覚悟がある者たちで、闘う上での最低限の実力を有しているから当然と言えば当然か。

「なんちゃって東大受験浪人生」は1次で足切りを食らうだろうし、現役生よりも多く準備期間を確保しているのだから。

さて、大学入試は現在過渡期真っ只中であるから、いつまでも浪人はしていられない。

だからこそ首都圏の中堅私大が難化している。

それでも第一志望を諦めない浪人生や、カリキュラムを早期に終了させている中高一貫校の受験生を薙ぎ倒さなければ、公立高校から現役では合格は難しい。

そんな当たり前のことが、見事に一覧表の紙面で確認できた。

感じたこと2:E判定でも合格するしA判定でも落ちる

判定はあくまでも判定にすぎないということを感じさせた。

E判定やD判定の子が合格していて、A判定やB判定の子が落ちているのよ!

出身高校はみんな名門。

私立なら開成、麻布、浅野、西大和、渋幕etcだし、公立なら浦和、横浜翠嵐、都立西etc。

書き切れないくらい多くの有名な学校。

受験者一覧表では高校名という「ブランド」、「高校入学時の偏差値」という色眼鏡で見がちだけれど、大学入試までは入学から3年も経っているわけで、そりゃ参考にはなるけど、参考にしかならないわな。

東大入試は受験者一人ひとりの実力による勝負である。

あくまで最後に受けた模試の問題での偏差値と判定であって、本番一発勝負だからこそA判定でも油断は禁物だし、慢心はしてはならない。

直前までに油断せず、どこまで自分を追い込んでストイックに対策を継続出来たかが分かれ目じゃないかな。

勉強に没頭できるかどうか

東大だけに限らず、模試でE判定でも第一志望校に合格するヤツには普段の学習の様子に共通点がある気がする。

だからこそ講師は、担当する子が「その状態」に近づけるようにしているのかもしれない。

「その状態」というものを頑張ってわかりやすい言葉にしてみよう!

=勉強に没頭できる/している状態

=進学を自分事と捉え、受験勉強に当事者意識がある状態

=現状に適度な危機感を持ち、克服のために逆算して学習計画をしている状態

かな~。

月並みな言葉だと、「毎日机に向かう習慣」などと言い換えができそう。

「継続は力なり」とはよく言ったもので、ブログだろうが勉強だろうが恋愛だろうが、継続することはもの凄く難しいし、努力なしでは継続できない。

ここぞという場面では当然努力し、何でもない普段の日常でも努力を続け、誘惑が多くても負けず、苦しくても当たり前のように勉強するという高い水準の維持が、志望校合格に肝要であるはず。

「当事者意識」も大事かも。

「親が言っているし、なんとなく国公立目指します」系の子は、自分のために頑張る意識が低いから、部活や学校行事にのめり込みすぎてしまうキライがある*2

高校生は大人と子どもの境界線上の存在だから、当事者意識を養いつつ自分のために楽しみながら勉強に没頭できるようにシフトして成長したいね。

*1:京大や横市も発表日だったけどね。

*2:両立して楽しむべきだけど、比重を考えようね、という話。

【世界は誰かの仕事で出来ている。】鈴木春香「KUROKO」+Santiago Grasso「EL EMPLEO」:感想と視聴のススメ【発掘シリーズ】

「世界は誰かの仕事で出来ている。」という話

山田孝之さんが出演している「ジョージア」という缶コーヒーのCMは有名だ。

その中でも「つながっている」編のCMは構成が簡潔に練られていて、私のお気に入り。

きっと誰もが一度は目にしたことがあるはず。

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「世界は誰かの仕事で出来ている。」というキャッチフレーズは、大人になればなるほど沁みてくる秀逸なコピーだ。

当然私たちの多くは、この資本主義社会を生きていくにあたって「労働者」であり、

また同時に製品やサービスの恩恵に与(あずか)る「消費者」でもある。

「労働者」であり「消費者」である個々人の集合によってこの世界は出来ている。

そんな、当たり前だけど気付きにくい日常を、アニメ作品という分かりやすい形で表現する人は多い。

今回は、その中でもセンスが光る日本とアルゼンチンの作品をこのブログの【発掘シリーズ】でピックアップしてみた。

作品1:「KUROKO」(日本)

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作品の概要

金沢美術工芸大学 視覚デザイン専攻卒業制作作品。 生活を支える人々を黒子として表現したアニメーション作品。

「誰もが、誰かに支えられていて、また誰かを支える存在である」

2012.11.19 第14回 TBS DigiCon6Awardsにおいてブロンズ、 また同アワードの日本大会であるJAPAN Regional Awardsにおいて最優秀賞を受賞しました。

鈴木春香(SUE)さんによる卒業制作の作品である。

この作品に私が出会ったキッカケは、美大生や専門学校生・芸大生の卒業/修了制作を探し求めてインターネットをサーフィン徘徊していたとき。

YouTubeでは既にかなりの再生数で、もしかしたしたら既にご存じの方・見覚えのある方もいるかもしれない。

なんやかんやハッピーエンドで、最後の終わり方も良い。

見た後にほんの少しモチベーションが上がる。

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https://school.japandesign.ne.jp/kanazawa/sotsuten/12/11.htmlより

作品2:「EL EMPLEO」(アルゼンチン)

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作品の概要

缶コーヒーのCMにもなるくらいだから、「労働によって人々の生活は支えられているんだよ」というメッセージは当然色々な作品のテーマとなる。

この作品のタイトル「EL EMPLEO」は「THE EMPLOYMENT」つまり「雇用」という意味。

アルゼンチンのイラストレーター、Santiago Grasso氏による皮肉めいた描写のアート系アニメ作品で、鈴木春香さんの「KUROKO」とは対照的に暗い印象だ。

仕事とは決して楽しいだけでなく、特に不況下では必ずしも自分がしたい職に就けるわけではない。

生活のためだけに働くことは楽しいことではないのだ...

こっちは、視聴後に「働く意味」について考えさせられる作品。

 

***

ん~なるほど。

同じようなテーマでも、作者や作品ごとのメッセージ性によって雰囲気が結構変わるんだね。

どちらも5分前後のアニメーション作品なので、是非とも気軽な気持ちで観て欲しい。

参考URL

school.japandesign.ne.jp

www.digicon6.com

ameblo.jp