GWに突入し私の生活もだんだんと落ち着き始めた。
慣れない環境でやらねばならない雑務に忙殺されながらバタバタとしていたら、もう四月が終わる!
この休暇は長いようで短いものだと覚悟して、計画的に有意義に過ごせたらいいなぁ。
新生活で初めて迎える長期休暇はゆっくり出来るが故に考え過ぎちゃう
休暇に入るということは普段よりも余裕とゆとりが生まれるわけだから、「考える」余裕も生まれる。
特にこの春に新生活へのシフトをしたのならば、この一ヶ月を振り返る機会となるだろう。
私は非生産的で余計なことを考えることが好きで、時に考えすぎてしまう傾向がある。
後から顧みると気付くのだけど、そこでは割と考えなくてもよい杞憂であったり、余計な将来への心配をしてしまったりすることがある。
例えば、自分の生涯賃金をあらゆる場合で計算してみたり、人間関係の悩みがさらに悪化したケースを想定したり、安易な転校や転職がよぎったり…
「いや、長い将来を考えることや最悪のケースを想定することは重要なことだ。」
この意見は確かに正しく、私も同感。
なぜなら長期的な展望を描くことは自分の方向性・指針を確認することになるし、最悪のケースまで考慮に入れることは想定外のトラブルを回避する行動に繋がるから。
五月病の根源である「杞憂」をなくすために
しかし私の場合、時間が有り余っているようなとき、客観的な分析に過剰な主観性が混入してしまうのだよ。
その主観性がネガティブなものになりがちで、長期休暇に突入すると、私は鬱々と病みそうになっちゃう。
そうすると、新しい環境となった私にまず訪れたGWには所謂「五月病」への懸念があるため、自身で対策しなきゃいけない。
五月病を回避するために現在の私が心がけているのが、
「まず外に出る」
こと。
ところで、外出するということは率直に言って消費活動だ。
まず移動によってお金や体力が消耗されてしまう。
それでも躊躇せず外に出て、「負の主観性の過剰分泌」を抑えるのだ。
病まないための有意義になりそうな暇つぶしが、私にとって「まず外に出る」ことだった。
特に私のように余計なことまで考えてしまうような人は、近所のコンビニへ行きがてらの散歩でも、小さな発見を自分のものに出来るでしょうからおすすめしたい。
ちなみに私は、何気ない人影もない日陰の狭くて古くて汚い路地に、心が動かされる人間だ。
こんな人間だからネガティブになりがちなのかねぇ…
有意義な人生のために自分を説得する
どうせ体力温存と消費抑制を目論んで引き籠っても、その一日が心の底から有意義になった場合は多くないでしょ?
YouTubeばっか見てんじゃない?
何もしないという贅沢な日も時には大切だけど、それを連休中に何ヶ所も設定するのは抵抗があることに気付いた。
ず~っと何もしない怠惰で贅沢な生活の連続は、初めは幸せでも、だんだんと後悔してその先の心配もし始めてしまって病みがちだから。
「散財にならない程度に経済貢献するかな」くらいの心持ちで休日は外出して、出先の非日常の中でリフレッシュした方が、クヨクヨしているよりは有意義だ。
お金があれば不安はなくなって安心が蓄積されるが、その安心のために身動きとれない自分を、死ぬ前に振り返ったら絶対後悔するもん。