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単純化された価値観と考え方について

 位置づけとしては前回の【備忘録】の続きですが、オムニバスのような形で投稿しているため、この記事だけでも違和感はないと思います。引き続き、「日本再興戦略」(落合陽一:幻冬舎:2018)を読んだ上で、自己満足的で好き勝手な文章を書いてまいります。

 

 

均質的な価値観・一様な人生サンプルの流布

 理想の人生像、均された人生プランといった内容を目にして、私がまず思い浮かんだのはFP(ファイナンシャルプランナー)でした。平均した理想の人生プランの説明は、実は当然ですが平均の話をしているに過ぎず、誰個人の話もしていません。偶然のラッキー/アンラッキーなアクシデントによって、人生は左右される可能性があるわけです。むしろ平均ジャストという人は稀で、大多数の誰しもが、予期せぬ偶然に人生を支配される経験をするでしょう。

 画一的な価値観の流布という点で、豪華な結婚式、高い婚約指輪が日本において「普通」として植え付けられているという話が、本の中で登場していました。これには恵方巻きやハロウィンなど、他にも通ずる例があるように思います。それらに対して違和感を持つ人々もいる一方、商業主義的理由なのか何なのか、流行や「普通」、「常識」というものが毎度新たに敷衍され、一様な定着化が図られるような印象を私は受けていました。これと明治期近代からの日本における宿痾を強引に結びつけることはいささか強引ですが、マスメディア等の価値観の発信元にとって特に不都合が感じられず、本質より意味が残った状態が維持されていることは言えるのではないでしょうか。

 

 「夢の国」=「幸せ、楽しい」か

 ディズニーランドに行くのが幸せか、信仰に近い考えだ、ということも本の中で少し言われていました。理由としては、無自覚に「ディズニーランドは楽しい」という価値観が広くインストールされている状態だからです。

 けっこう本の内容とはズレますが、私はディズニーランドに行きたいとはあまり思いません。実際に行った際には、雰囲気を壊さないように空気を読んで楽しむように努めますが、心の底から快楽と幸福感を得たことはないです。私の大学時代のゼミの恩師も、ディズニーランドに良い印象を持っていませんでした。常見陽平氏もディズニーランドに良いイメージを抱いていないことを知りました。けっこうそんな人はいます。

 私は文化帝国主義的文脈で悪印象を抱いているわけではありませんが、表面の「夢の国」を構成するにあたって、見えないところにある裏の「現実」を意識しないわけにはいかない性格なのです。「斜に構えている」、「厨二病を拗らせたみたいで陰気」、「考えすぎ」、「そんなヤツはモテなさそう」、等という指摘があるでしょうが、思考を停止して享楽に耽溺することが出来ない、面倒くさい男が私でございます。

 別にディズニーが好きなのか嫌いなのかがここで言いたいポイントではないし、ディズニーランドを否定しているわけでもありません。話を少し戻しまして、なぜ“ディズニーランドに赴くこと即ち幸せ”となる傾向下にあるのかを考えさせられました。もうすこし複雑に考えて、無自覚な等式に対して自覚的になるのもいいかもしれません。

 

「ワークアズライフ」と「ワークライフバランス

 「ワークアズライフ」という概念を落合氏は提唱し、実践しています。私はこの考え方を得ることができて、救われた気持ちになりました。学生時代から就職活動というものを少しずつ調べていくと、私は「ワークライフバランス」という言葉を耳にするようになりました。今でも囁かれているでしょう。この考えは言葉の通り、仕事と仕事以外を二分するタイムマネジメントです。ブラック企業や過労死などという類のリスクを考慮すると、やはり仕事以外の時間が確保できる、短い労働時間の会社を選好する傾向になるでしょう。

 「ワークアズライフ」の考えは、ストレスマネジメントです。仕事は辛いこと、仕事以外(特に余暇)は快適なことと二分して単純化して見做すほかに、「労働時間がストレスというよりは、労働内容や環境毎にストレスを感じる」ことがそのリスクになり得るという視座を有すると、これからが生きやすくなります。

 ワークとライフを分けて、その割合を決定することに私は窮屈感を抱いていました。なぜなら、ハッキリ分けるとそこには“明確な”境界線ができるからです。仕事から余暇、余暇から仕事に移るときに、私はその「モード」を瞬時に切換えることができません。モードの移行を、「意識せざるを得ない一大イベント」として捉えてしまい、境界線の存在の強さを嫌でも感じてしまいます。仕事と仕事以外を区別せずにストレス毎にモードを変更することで、境界線が曖昧なものとなり、その一大イベントのハードルが下がります。境界を跨ぐ際の妙な緊張感と、不要なくらいの安堵感を感じずに済むのです。

 この「ワークアズライフ」という概念と、従来の「ワークライフバランス」の考えを妙に混同してしまうと、誤解が生じてしまうでしょう。例えば、“ワーク=ストレスフルなもの”という等式が頭の中で固定化されたままでいると、「ワークアズライフ」が『人生を絶えずストレスに捧げる社畜となれ!』というニュアンスに聞こえてしまうのです。

 

 まだ続きますが…

 落合陽一氏や東浩紀氏などの名前を出すとなると、けっこう備忘録記事の公開にあたって扱い方に悩まされますね。いずれも書籍としてじっくり目を通した(目下通す予定の)ものは、「日本再興戦略」(落合陽一:幻冬舎:2018)と「ゲンロン0観光客の哲学」(東浩紀:ゲンロン:2017)くらいで、氏らの関連するYouTubeニコニコ生放送etcを気が向いたら視聴する程度の俄です。

 そんな俄なりにまだ書きたいことが残っているので、書き次第投下するつもりです。

 

次回の【備忘録】に続きます。