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日本の社会は「小学校」

 先日、ニコ生で放送された「仮想通貨について言いたい事を言う生放送 《東浩紀×津田大介×夏野剛×ひろゆき》」*1という放送を観た。リアルタイムで最初から最後まで視聴はしていなかったが、面白そうな話をしていたのを覗いたため、タイムシフトで後日視聴。その中で個人的に備忘録として残しておきたいと思ったことをここにテキトーな文章で、テキトーな要約を施して自分用に保管しておこうかなと。

 

以下、東浩紀氏の話していた内容の一部(セリフではない)等。私が残しておきたかった箇所。

日本における「小学校」は明治時代に形作られたもので、これはヨーロッパにおける「教会」のような役割のものである。街衢設計は1教会1街区で、日本では「寺」がその役割を担っていた。江戸時代の寺小屋というものや、過去帳といったものに代表されるように、そこは生と死を管理する場であり、教育の場でもあった。明治維新での廃仏毀釈神仏分離国家神道のために明治政府は「小学校」に力を入れ、「寺」から「小学校」にその役は移った。

近代からの文脈にあるこの日本における「小学校」は、コミュニティの要であり、コミュニティの単位となっている。投票も小学校でおこなうし、地震津波等の緊急避難先に小学校が設定されていたり、地域によっては校庭を使用してちょっとしたハレの祭りなんかもしたりするかもしれない。「先生(偉い立場)に言いつける」「みんな平等」という考えが日本社会の基礎になっていて、その源は近代だ。「小学校」というものがずっと社会の縮図となっていることは深い問題となっている。

日本において公共性を考える際に、学校というイメージが強くなりがちだ。「あいつが儲かるなら、僕も私も儲かるだろう」「あいつだけ抜け駆けしてずるい」、みんな平等、みんな嫉妬、みんなが行くなら行く、という発想はまさに小学校的で、日本における社会やコミュニティの想像力の歪みである。

 

 …といった具合。今の日本の原動力が「嫉妬」と「怨嗟・怨恨」であるセコイものとなっていることをどうにかすべきだ、という指摘は夏野氏も東氏もしている。タイトルと絡め、仮想通貨は小学校コミュニティ内での流行のようなものだ、コインチェックアプリは自己実現の文脈と関わっている、といった話題も。他に、沖縄の主体性の話なんかも興味深く聞いていた。とりあえずここは、放送全体に対する感想ではなく、一部分を抽出した私的なメモ。ちなみに、タイトルに反してひろゆきはこの放送を欠席していた。