「衒学的」ということばがすでに衒学的でペダンチックではないか?
自分で書いておきながら、私は↑のような小難しさを気取っている一文を初見で見たら、読み手として少しイライラする。
書き手としての自分は、背伸びしてインテリを気取れて少し気持ちいいから、たちが悪い。
万が一、億が一、この文を読んでしまった人はごめんなさい。
『衒学(げんがく)=自身の博識ぶりを良くない意味で自慢げにひけらかす』
というような意味。
ペダンチック(pedantic)も「衒学的」と同じ意味だ。
はじめてこの単語を目にしたとき、「衒」の読みは行構えの中の「玄」という字から推測できたが、この字の使用例が「衒学」以外に思い浮かばなかった。
軽く調べてみると、いくつかこの「衒」を使う機会が存在することがわかった。
まずこの「衒」の訓読みが「衒う(てらう)」ということを知って驚いた記憶がある。
訓読みだとなかなか難読な部類になるのではないだろうか。
「奇をてらう」という言い回しを文章で見かけても、やはり「衒う」は「てらう」とひらがなで書かれてしまうことが多い印象である。
「奇を衒う」を、私は漢字で書けるようになった。
他に、「衒る(うる)」という読みもあるらしい。
「売る」とまったく同じ意味・読みのようだ。
これと関連してか、「女衒」ということばもある。
初見ではまず読めない。
女衒(ぜげん)とは、『江戸時代に、女を遊女に売ることを業とした人。判人。』(広辞苑第六版より)だそうだ。
判人というのも、遊女の身売りの保証人ということで、女衒と同じ意味らしい。
知識が増える。
その他、自身の知識をひけらかし学者ぶりたい気持ちという意味の「衒気(げんき)」という熟語や、かがやくという意味の「耀」と組み合わせて、盛んに自身の才能を誇示するという意味の「衒耀(げんよう)」という熟語などがあった。
「衒学的」ということばの「衒」から得た知識を、衒学してみたくて書いてみた。